「馬鹿やろう!この俺がこんなもん飲めるか!!何度言ったら分かるんだ!この能無しがっ・・・!」
広い個室の楽屋に自分の怒鳴り声が響き渡るのを、小河見司(おがみつかさ)は感じていた。幼い頃から発声の基礎を叩き込まれたので、常人の倍以上の大きさの声など簡単に張り上げることが出来る。
逆上した司はコーヒーを、安っぽい紙コップごと、それをたった今差し出した若い付き人に投げつけた。
若いといっても、まだ18歳の司よりはいくつか上である。
「すっ・・・すみません!!」
顔面を濡らす液体の熱さをこらえながら、付き人はひたすらぺこぺこと年下の司に頭を下げて謝っている。その哀れで情けない様も、司にとってはただ己に媚を売っているとしか受け取れなかった。
「あっちに行け!てめえはクビだっ!!」
さらにでかい声で怒鳴りつけたが、いっこうにイライラは収まらなかった。
「・・・いったい何事?どうしたの司くん。」
廊下にまで司の声が響いていたのか、マネージャーの由梨絵が慌てて楽屋に入ってきた。
29歳で独身のこの女性マネージャーは、有能で見た目も若く、そこそこの美人だが、司にとってはなんの魅力も感じないただの小うるさいおばさんに過ぎなかった。
「・・・この間抜けが、紙コップのコーヒーを・・・―――」
説明するのも面倒くさくなり、司はひとつ大きな溜息をつくと、出口付近にいる由梨絵を乱暴に押しのけて廊下に飛び出した。
今の司にとっては、何もかもが煩わしく、面白くなかった。
それというのも、来年公開予定の映画『乱暴者の住む丘』の主演に抜擢されたものの、それが司の実力ではなく、司の父親である超大物俳優、小河見裕の七光りであると、三流雑誌に書き立てられ、巷でもそう噂されているという情報が司の耳に入ったからである。
―――くだらない・・・・。
そんなことは、今更始まったことではない。司が7歳にして子役デビューしたときから、事あるごとに何かと父親を引き合いに出され、良きにつけ悪しきにつけ色々と言われたものである。
一方では天才と褒め称えられ、一方では単なる七光りと貶められた。
そんなことはとっくに慣れっこになっているし、いちいち気にしていたらきりがないことくらいは司もいやというほど分かっている。
それなのに・・・。何故か今回に限っては、そのように言われることが本当は図星なのではないか、という思いに捉われて司の気分を重くしていた。
というのも、その映画というのは三十年前、司の父親が主演して好評を得た作品のリメイク版であり、親子で時を超えて同じ役、ということで話題をとるのが目的だということが、司にはどうしても気に入らなかった。
―――また、親父と比較されるのか・・・・・
そう思うと、胃の辺りが見えない力で掴まれたように苦しくなった。
―――自分に自信がないわけじゃない・・・。俺は俺だ、親父なんか関係ない。今まで自分の実力で役を勝ち取ってきたんだ・・・・。
でも、周りの連中はそうは思ってないのかもしれない・・・・。
監督も演出家も・・・・あの付き人のように、外見ではへこへこと媚へつらっているくせに、陰では「あんなやつ、親の力がなければなんにもない、ただのクソ生意気なガキだ」と嘲笑っているのかもしれない。
誰も、本当のことなど言ってくれはしない・・・。司が訊いたところで皆、「そんなことないよ。君はたいしたものだよ」などと言って適当に取り繕うに決まっている。
それもこれも、どいつもこいつも、大御所の大俳優である小河見裕が怖いからなのだ。
―――バカバカしい・・・・。
本当の実力なんて、どれほどのものなのか。客観的に自分の演技を判断するのはやはり難しかった。しかも、親父と比べるなんて・・・・。
正直、今度の役は降りたかった。そして、監督やプロデューサーにも司は辞めたいと申し出たのだった・・・。けれどそれは勿論、すぐに却下されてしまった――。
司はやりきれない苦々しい思いで、テレビ局内の廊下を大股で歩いていた。
「すみません」
後ろからなんだか声がしたが、司は振り返らず無視していた。これ以上煩わしいことは真っ平だった。
「あの・・・すみませんけどっ!!」
突然大きな声が耳元で聞こえたかと思うと、一迅の風のように司を追い抜き、目の前に何かが立ちはだかった。
その人間のあまりの素早い身のこなしに、司は思わず瞠目して、立ち止まった。
「・・・すみません、第6スタジオって何処でしょうか?ここ初めてで・・・迷子になったらしくて・・・」
大胆な行動のわりには、ずいぶん恐縮した口ぶりで話すんだな、と思いながら、司はその人物をしげしげと観察していた。
柔らかそうな髪が、汗をかいた白い額に少々張り付いているが、それでも不思議なほど清潔感に溢れている。
細い鼻梁が繊細さを感じさせる整った顔立ちだが、それよりも人目を引くほどの澄んだ目元が印象的だった。司は、まるで無邪気な子供みたいに濁りのない瞳をしている、となんとなく思った。
歳は司と同じくらいか、少し上かもしれない。
そのスタジオを探して走り回ったせいか、よく見るとかなり息を切らしている。それでも苦しそうな顔は微塵も見せず、にこやかに笑いながら司の顔を覗いて訊いている。
「第6スタジオなら、この下の階だよ。・・・・エレベーターよりそこの階段使った方が早いな。そこから―――・・・」
司が細かくスタジオの場所を教えると、じっと真剣に聞いていた青年は丁寧に礼を言った。
「ありがとうございました。助かりました。これからオーディションなんです。お蔭様でなんとか間に合いそうです!」
「オーディション・・・?」
ということは、この青年も役者なのだろうか・・・。確かに、これだけ綺麗な顔立ちで均整のとれた身体つきならタレントかモデルでもおかしくはない。
そのとき、ふとした思いつきが司の脳裏をよぎった。
―――この青年なら、本当のことを言ってくれるかもしれない。
「・・・俺のこと、知ってるだろ?」
「ええ。小河見司さん、ですよね。」
にっこりと笑ってそう答える青年には、少しも悪びれた様子も緊張した様子も見られなかった。
知ってるわりにはずいぶん普通に喋っているよな・・・と頭の片隅で思いながら、それでも不思議なほど司はそれが不快とは思わなかった。それどころか、心地よかった。
「・・・それで、どう思う?俺のこと―――」
「・・・どう・・・・って?」
青年は質問の意図が分からないらしく、僅かに小首を傾げると戸惑った表情で司の顔を見つめた。
そんな何気ない動作や仕草のひとつひとつに、司はなぜか引き付けられ、目を奪われた。
「―――つまり・・・小河見司は、役者として、どうか・・・・ってことだよ。どう思う?」
「・・・・・・」
青年は、ちょっと考えるように眉を寄せると、困ったように腕時計を見遣った。
「あの・・・すみません。もうオーディションの時間なので、失礼します。」
そう言うと、司がなにか言う間も無く、あっという間に風のように駆け去っていった。
―――逃げられた・・・・?
司は茫然と、青年が去っていった方向を見つめながらしばらく突っ立っていた。
―――この小河見司が・・・・軽くあしらわれた。
to be continued....